コートの上で触れて 1
は、結婚して15年になる2児の母親である。
土曜日の午前中、彼女はいつものように電車に乗ってある場所へと向かっていた。
ラケットと着替えが入った袋を下げて、明るい表情で窓の外を眺めている。
子供は中学2年と小学6年の娘なので、二人とも手がかからない。
旦那と子供3人分の朝ごはんを食卓の上に用意して、さっさと家を出てきた。
主婦業とパートに追われているにとって、土曜日のこの時間が何よりも楽しみだった。
駅から歩いて10分程経つと、テニスコートが見えてくる。
は半年前に、20代後半から40代の人が集まって行われるテニスサークルに入会した。
は中学時代にテニス部に所属していたが、特別上手いという訳ではない。ここのサークルは、初心者でも気軽に入ることが出来るという
メッセージを見て、入会を決意した。プロのコーチに教えてもらうことはないので、会費も月1500円と安い。
が入った目的は、運動不足を解消したかったからだ。
メンバーは男性の方が圧倒的に多いが、にとってはその方が気楽だった。
女性もいたが、みんなサバサバしていて余計な気を使う必要はなさそうだ。面倒なグループ付き合いをしなければいけない女性が少ないのは有難い。
は更衣室で着替えるとコートに出た。
「さん、こんにちは」
「あら、久しぶり。こんにちは」
に挨拶してきたのは、銀行員をしているというだった。
サークルに入った当初からに指導してくれているのが彼である。
「最近、個展の準備が忙しくてね…やっとひと段落したところだよ」
「そう。相変わらずさんは多趣味なのね」
「まあ、どれも中途半端なんだけどね」
はそう言うと笑った。
「そんなことないわよ。テニスの腕前だってなかなかのものだし」とはフォローする。
はテニスの他にも趣味で陶芸をしているのだが、個展を開くことが出来るのはそれなりに自信があるからだろう。
この年になって、盛んに趣味に励んでいるに惹かれているのをは感じていた。
ここのサークルの男性と話すと、旦那にはない魅力を感じてとても楽しい。運動目的と言いながらも、毎週かかさずサークルに参加するのは彼らとふれ合うことが出来るからだ。
そのせいか、は以前よりも美容に気を遣うようになった。
スーパーで売っている安物の化粧水を使っていたが、薬局のコスメ
コーナーで販売員からアドバイスを貰い、某有名ブランドの上等なものを購入した。
風呂上りにはクリームをつけて、リフトアップ効果のあるマッサージをした。
努力のかいあって、彼女の肌は5歳以上は若返ったように見える。
仲間と共に心地良い汗を流すと、体は少し引き締まり、日常の嫌なことを忘れてストレス発散できる。
身も心も若返る。は、このテニスサークルに入って本当に良かったと思っていた。
約3時間の練習を終えて、更衣室に戻ろうとしていたその時、
「さん」
がを呼び止めた。
「はい」
こちらへ近づいてくるを見て胸が高鳴る。
ちらっと周りを見たが、女性も男性に混ざって談笑したりと、誰も達を見ていないようだった。
「良かったらこの後食事でもどうです?」
堂々と誘ってくるに、は好感を覚えた。
「いいですね。丁度お腹も空いていたし」
「じゃあ、着替え終わったら入り口で待ってるから」
が答えるとは爽やかな笑顔になった。
(まだ昼間なんだから、別におかしくないわよね…)
このサークルのメンバーはノリが良い人が多く、たまに飲み会なども行ったりする。テニスの後に食事に行ったり、遊びに行く者もいるようだった。
着替えている途中で、は家のことを気にしたが、折角のチャンスを無駄にしたくないと考えた。
携帯を取り出し、『ご飯はお父さんに作ってもらって』と娘にメールを送った。きっと3人は、喜んでカップラーメンでも食べることだろう。
は、行きつけのお好み焼き屋にを連れて行った。
どんなお洒落なお店に行くのかと少し緊張していただったが、気楽な雰囲気の店内に入ると安心した。
はこういう細かい所まで気を遣ってくれる男だ。
はと本気で付き合いたいと考えている訳ではないが、もしも彼のような男性と恋愛できたら…と妄想することがある。
休日にはテニスを楽しんだり、美味しいレストランを探したり
楽しみは尽きないだろう。
互いを思いやり、慈しみ、愛し合う。
そして夜は情熱的に体温を確かめ合う。
そんな甘い想像をしては、自分にはもう縁のないことだと苦笑した。
こうして一緒にテニスを楽しんで食事できるだけで幸せな主婦に違いないと、現実をよく見据えたは思っていた。
それからも、は何度かを食事に誘った。
さすがに毎回昼食をとって帰ると家族に怪しまれるかもしれない
ので、カフェで短時間お茶を飲むだけにすることもあった。
気の置けないサークル仲間で、ちょっと憧れているだけの男性だった彼がどんどん自分の心の奥へ侵入しようとして来る。
テニスの指導の際に体が触れると、心臓が跳ね上がる。
かっこよくラリーしている横顔を見ると、胸が切なくなる。
いつの日にか、は恋する女になっていた。
しかし、若い頃のように思いのまま行動することは出来ない。自分には家庭があると言い聞かせ、我慢に我慢を重ねていた。
「さん、今度の土日あいてたら、北軽井沢のテニスコートに行かない?よかったら泊りがけで…」
「え?」
ある日のテニスサークルの後、から言われた時、はそれがどういう誘いであるか頭をフル回転させて考えた。
「なんて、ご主人もお子さんもいるのに駄目だよね」
返事に困っているを見て、は苦笑いすると独り言のように呟いた。
「いいですよ」
からの承諾の返事を聞いた時、の方が逆に驚いていた。
「それを言うなら、さんだって奥さんがいらっしゃるのに、いいんですか?」
「まあ、俺は結婚する前からこんなだから、妻は諦めてるのさ」
とは顔を見合わせて笑った。二人が共犯者になった瞬間だった。
それから二人は本屋でガイドブックを買うと、どこのペンションに泊まるか等、計画を立て始めた。
「北軽井沢は、涼しくて空気が綺麗で、テニスをするには最高の環境だよ」
「それは素敵ね。でも私みたいな下手な人が相手でいいのかな」
はの気持ちを試すように、冗談ぽく言う。
は少し考えてこう告げた。
「上手い下手は関係ないね。俺が今一番テニスしたい相手はさんだから」
はテーブルに置かれたの手に、自分の手を重ねた。
大きな掌から、彼の温かさが伝わってくる。
テニスの指導以外でに触れられたは、急なことで驚いたと同時に、の気持ちを理解すると胸の奥が締め付けられるのを感じた。
(どうしよう…このまま二人でテニスに行けば取り返しのつかない
事が起こるかもしれない)
は帰宅してからも悩み続けた。
今ならまだ間に合う。一言、断りのメールをすれば、これからもただの仲の良いテニス仲間として付き合っていける。
家族にとっても自分にとっても、にとっても正しい選択だろう。
何度も携帯を握り締めて、文章を考える所までは行ったが、メールを打つことは出来なかった。
(そうよ、私達はただテニスを楽しみに行くだけなのよ。たまには
遠くへ羽を伸ばしに行きたいし)
そう思い込むことで、犯してしまうかもしれない罪の意識を軽くしようとしていた。
土曜日の朝、は近くの駅前でを待っていた。
家族にはテニスサークルの合宿に行くと告げてある。1日半家を空けるぐらいなら、あの3人でも大丈夫だろう。家の中は確実に汚くなるだろうが仕方ない。
ロータリーで待っているとの車がやってきた。
車の中のと目が合って、は緊張気味で車に乗り込む。
「…おはよう」
「おはよう」
「家、大丈夫だったかい?」
「ええ…旦那はゴロゴロしてるだろうし、子供達ももう大きいし」
静かに交わされる秘密めいた会話は、いつものサークルで会う時とは違っていた。この独特の雰囲気によって、は別世界へ足を踏み入れようとしていることを認識する。
昼間は北軽井沢のテニスコートで爽やかに汗を流し、時間があれば近くの観光地を巡る予定だ。
夜はレストランで食事をし、ペンションの同じ部屋に泊まる。
そこで何が起こるかは、二人の頭の中でだけ計画されている。
正直言って、まだ迷っている。にとっては、旦那以外の男性と旅行するだけで大きな出来事だ。もしも、ベッドを共にするなんて事があれば…。
考えただけで息苦しくなり、濡れてしまう。
淫らなことを考えているのが恥ずかしくなり、余計な事を頭から追い払うようには窓の景色を眺めた。
は、異性との久しぶりのドライブを楽しんでいた。
サービスエリアに寄り、のために眠気覚ましのコーヒーを買い、運転の途中に手渡す。は「ありがとう」と言い、軽く微笑む。一瞬目が合うと、心はどんなスイーツを食べるよりも甘くなる。
独身時代にそれなりに恋をしていた頃を思い出しながら、は頬を紅く染めていた。
もいつものように饒舌で、車内は笑い声が絶えなかった。
北軽井沢のテニスコートは、緑の木々が生い茂る豊かな自然に囲まれていた。周辺には観光牧場や小さな遊園地もあり、家族連れやカップルで
賑わっている。
「今日は3時間予約してあるから、たっぷりラリーできるよ」
の言葉には胸を弾ませる。サークルの他のメンバーに気を遣うことなく、二人だけで思う存分テニス出来る。何て贅沢なんだろう。
それだけで、遠くまで来たかいがある。
「よーし、折角だから思いっきりやるわよ」
「何なら練習試合でもするか?」
二人とも軽やかな足取りでコートに入った。
初秋の高原は、最初は少し肌寒かったがラリーを続けていると二人とも汗を流した。東京と違って湿度が低く、汗はすぐに乾く。
が少し加減してサーブを打ち、は一所懸命ボールを追ってレシーブする。時にはが鋭いスマッシュを打ち、を本気にさせることもあった。
こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、はの眩しい顔を見て思った。
何度か休憩を挟んでプレーを終えると、二人とも心地良い疲労感に包まれていた。
「楽しかったわ。こんなに自由に練習できたのも初めてだし、来て良かった…ありがとう」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
がの肩を軽く叩いて礼を告げる、彼は少し照れて目を細めた。
の筋肉質な足、程よく日に焼けた首筋。40歳にしては若い引き締まった肉体を見ながら、は今夜のことを考えて胸を熱く焦がした。
近くの観光地を周った後、が予約したというペンションへと向か
った。
受付でが記帳を済ませる。
ちゃんと普通の夫婦に見えているだろうかと、ソワソワしながらは待っている。
係員に鍵をもらうと、部屋に移動した。
2つのベッドが悩んだその部屋は、ホテルよりは家庭的な雰囲気をかもし出していた。作りは木造で温かみを感じさせる。
(いよいよここに二人きりで泊まるのね…)
と二人だけでいることなんて最近はよくあることなのに、「泊まる」ことを意識するだけで、は落ち着かない気分になる。
男と女が一晩過ごすということは、やはりそういうことになるのだろうか…?
(さん…あなたの気持ちが知りたい)
は、鼻歌を歌いながら窓からの景色を見るの背中を切なげな瞳で見つめた。
レストランでの食事をとった後、は緊張しながら部屋に戻った。この後の予定と言えば、あとは風呂に入って寝るだけである。
「さん、先にお風呂どうぞ」
とのちょっとした会話にも神経を尖らせてしまう。
「あら、いいの?」
「俺が先に入ったら、ぐーぐー寝ちゃいそうだからね」
を見ると、本当に眠そうにしていた。
ワインを何杯も飲んだので、少し酔っているのだろう。
「疲れてるのなら、別にいいのよ」
「折角だから、今日はさんともう少し話したいからね」
「そう…じゃあお言葉に甘えて…」
家で着るものよりは上等の部屋着と下着を用意して、は
バスルームに入った。
もし万が一、何かあった時のために下着は新品を持ってきている。
は服を脱ぐと、鏡で裸体を見渡した。
昔よりは垂れ下がった胸、子供を産んで丸みを帯びた体。
今夜、彼のあの逞しい体に包まれるかもしれない。
こんな体でがっかりされないだろうか。
いや、何を考えているんだろう。この後はただ、お話して寝るだけなのよ。
不安と期待が入り交ざったまま、熱いシャワーを浴びた。
は昨日の夜、何年ぶりかにアンダーヘアーを綺麗に手入れした。そのせいか、見た目はいつもよりもさっぱりしている。
ボディーソープを泡立てると、体のすみずみまで汚れを洗い流した。臭いを気にして、局部もしっかり洗った。
まるで少女が初体験を迎えるような気分だ。
が風呂から上がると、も続けて入った。
はベッドに座ってテレビを見ていたが、の風呂の方が気になって内容はほとんど頭に入ってこない。
が出てくると、二人でテレビを見ながら話をした。
「ここ、本当に良い所ね。避暑地としても最高だし癒されるわ」
「だろう?俺も独身時代に一度来たことがあってね…その時はむさ苦しい男4人しかいなかったけどね」
「ふふ…」
と話をしながらは段々物悲しい気持ちになる。楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。明日には家に帰って、散らかった部屋を片付けながら憂鬱な気分になるだろう。
でも結婚して一人の男性と生涯を共にすると誓い、子供達を一人前に育て上げると決めた時から、自分の人生は決まっている。
人にはそれぞれ違った生き方がある。
何歳になっても恋に生きる人もいれば、地味に家庭を守り抜く人もいる。自分の場合は間違いなく後者なのだ。誰から見てもその方が似合っているだろう。
「じゃあ、そろそろ寝ようか…」
「そうね、今日はよく眠れそうだわ」
は物足りなさを感じたが、どうすることも出来ずにベッドに入った。まだ眠りたくない。一晩中眠らなくてもいい。
(このまま私を強引に奪ってくれてもいいのに…)
「ねえ、さん…起きてる?」
「…ええ」
は、の声に僅かな期待を抱きながら、次の言葉を待つ。
「今日、さんと一緒に来れて良かった」
暗い部屋に響くの声はの胸を激しくかき乱す。
「それは…私の方こそ連れてきてもらってありがとう」
やっとの想いで返事をする。
「もう気付いてると思うけど、俺はさんのことが…好きだ」
決定的な言葉を聞いたは、体に何か熱いものが流れ込んだような気がした。
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