シンデレラになるまで(4) 名前変換
 初めて買った大きなスーツケースを引きずりながら、はアパートの駐車場へと急いだ。
 スーツケースの中にはTシャツやアロハシャツ、水着、ディナー用のワンピース等、服が詰まっている。行くのが薄着の国で良かったと、は心底思った。
 駐車場には、黒塗りのベンツが止まっていて、は溜め息をつく。
 は空港まで電車で行くのにと言ったが、が重いから嫌だと言い張り、結局いつも通り楽させてもらうことになった。
 苦労しながらも、二人だけで行くのが旅行の楽しみなのに、はそんなことどうでもいいようだ。
(一体いつになったらこの車にも慣れることやら…)
 運転手にドアを開けてもらい、は後部座席に乗り込んだ。
 どう考えても、自分はこんな車に乗るような人間じゃない。
 高級な服を身につけ、どこかへ出かける時は運転手を呼び、何とも思わずに送り迎えをしてもらう。
 たとえ10年先でも、自分がこんな生活をするとは想像出来ない。
 に言っても、「余計なこと考えるなよ。今が楽しけりゃいいじゃん」と言われたことがあり、は二人の格差を感じるのだった。

 成田から飛行機で約11時間かけて、タヒチ島まで向かう。
 は初めての国際線に搭乗し、気分が高揚していた。
 タヒチ行きなので外国人が多く乗っていると思いきや、乗客のほとんどが日本人だった。これから海外に向かう実感があまりない。
 が今まで乗ったことのある飛行機よりも座席の幅が随分広かった。
 はオプションでビジネスクラスを予約したそうだ。周りには、二人のような若い乗客はいない。30代位の男女や、年配の裕福そうな人達ばかりで、達は浮いていた。
「また、そんな贅沢して…」
「ファーストでも良かったけどよ、おまえに文句言われるかと思って遠慮したんだよ」
「当たり前でしょ。ビジネスでも贅沢すぎるのに」
 が言うと、は煩そうに耳を塞ぐ仕草をした。
「まあ、諦めて楽しめ。普通の女なら泣いて喜ぶぞ」
「もう……」
 これから1週間、と一緒に旅するのは少し不安があるが、高いお金を払ってもらった以上は楽しむしかない。は持ち前の ケチな心を思い出して、充実した旅行にしてやろうと誓った。
 ガイドブックを見ながら、フランス語で挨拶の練習をするは満足そうに横目で見ていた。
 それにしても飛行機で11時間は長い。長過ぎる。
 本を読んで、機内食を食べて、ビデオを見て、睡眠をとって、おやつを食べて、また食事をとって…。一体いつになれば着くのだろう。
 ビジネスクラスなので、まだゆったり眠れるのが幸いだと身にしみて感じた。
「もうすぐ着くぞ」
「ん?」
 うとうとしているの肩をが揺する。窓の外を眺めると、既に島が見えていた。
「凄い、きれいーー!!」
 は今まで見たことのない海の色に感動している。
「まだまだ、タハア島はもっと凄いぞ」
「そうなの!?」
「今日は天気もいいし、期待しておけ」
 写真で見るような美しい海が本当に見れるのだろうか。はワクワクしながらシートにもたれた。
 まもなく、飛行機はタヒチ島のファアア国際空港に着陸した。
 飛行機から降りると、気候の違いを肌で感じた。
 空港に入る際に、タヒチアンが楽器を演奏しながら、温かく歓迎してくれた。
 空港内は冷房があまり効いていない場所もあり、蒸し暑い。独特の甘い花のような匂いもする。
「ここから、ライアテア島まで飛行機で行くから」
「タハア島じゃないの?」
「タハア島には空港がないから、隣の島まで行って、そっから船で行く」
 は手馴れたもので、乗り換えの手続きをすんなりこなす。
「へえ……まだまだ時間かかるんだね」
「リゾートってのは金と時間をかけるものなんだよ」
 アクセス方法については詳しく調べていなかった。この旅はほとんどに任せてある。英語が話せるは頼りになった。自分 一人ではこんな所まで行くことは出来ないだろう。
 ライアテア島までの飛行機は小型で、高い所が苦手なは座席にしがみ付いていて、に笑われてしまった。
「大丈夫だって。堕ちても下は海だから」
「不吉なこと言わないで!」
「大人しく海でも見ておけ。日本じゃ見れねえぞ」
 恐る恐る窓の外を見ると、明るいブルーの海が眩しく光っている。島の周りは、スカイブルーやターコイズブルーなど何層かに分かれて いて言葉では表現できない程美しかった。
「きれい…世界にはこんな場所があるんだね…」
 島の空港に下りると、専用のボートに乗ってタハア島まで向かった。ここまで来ると乗客は少ない。
 二人は船のデッキに出ると、手すりにつかまって、広大な海を眺めていた。
「ボラボラ島でも良かったけど、日本人が少ない所にした」
「別に多くても気にしないのにさ…」
 にとっては、外国人ばかりなのは不安だ。
「せっかく海外に来たんだから、日本人なんかいなくていいんだよ。その方が遠慮なく愛を語れるだろ?」
 はそう告げると、と手を繋いだ。
「何してんのよ…」
 が離そうと引っ張るが、の手は力強く握られていてびくともしない。
「ばーか。手ぐらい繋いだって、気にするやつなんかいねえよ」
 確かに周りを見ても、カップルやハネムーン客が多く、男が女の腰に手を回したりキスしていたり、開放的な雰囲気を感じた。
「何かすごい所に来ちゃったね…」
 タヒチで、と結ばれるかもしれない…。
 日本からはるか離れた所で二人きりで旅行だなんて、男なら当然そういう雰囲気を作り出すだろうとは覚悟していた。
 だから、下着もオシャレなものをわざわざ購入してきた。
 不安がないと言ったら嘘になるけれど、この素晴らしい景観がの気持ちを後押ししてくれそうだ。
 と手を繋いでいて、は思った。
 ずっと彼の傍にいたい。
 彼の役に立つような、彼に必要とされる女性になりたい。
 自分のやりたいことが明らかになると、ライトブルーの海のように心は青く澄んできた。
「何食べようかなあ」
 は繋いだ手を大きく振ると、はしゃいだ。
「おまえは花より団子だな…ここまで来て、食って寝るだけなんて止めろよ」
「はいはい、分かってますって」
 二人の目の前には、最高に美しいラグーンが広がっていた。

 タハア島にて2日間泊まるホテルは、全室スイートルームらしい。
 しかも、今回泊まるのは水上バンガローだそうだ。
 受付を済ませたは桟橋の上を歩いて行く。
 まるで夢の世界にやって来たようだ。
 心地良い南風を感じながら、遠浅の透き通ったラグーンを観察すると魚が泳いでいるのが見える。
 部屋に入ると、は初めて見るスイートルームに驚愕した。
「すごーーい!!!広い!!何これ、ベランダもついてるの!?」
 ベッドルームだけでの部屋の何倍もありそうだ。キングサイズのベッドの足元はガラス張りになっていて、海を覗くことが出来た。
 は座り込んで、涙の滲む目で海の底をじっと見ている。
「気に入ったか?」
「うん…何もかも素敵で……ありがとう」
 いつになくしおらしいを見て、の顔がにやけた。
「ほら見ろ。来て良かっただろ?…じゃあ、俺シャワー浴びてくるから。はバイト三昧で疲れてるだろう。ゆっくり休めよ」
「うん」
 はテラスに出ると、リクライニングチェアに座って寛いだ。
 ブルートパーズの海に眩しい太陽が照りつけ、水面が宝石のようにキラキラと輝いている。
 新婚さんやセレブ達が高いお金を払ってこの島に来たがるのが理解できる。この海を見れただけで、旅の価値があるだろう。
 は目を閉じるとゆっくり眠りにおちていき、最高に贅沢な昼寝をした。

 ビーチで泳いだり、海岸沿いをサイクリングしたり、時計をあまり気にすることなく二人でリゾート気分を満喫した。
 夜はレストランで最高級のフランス料理を食べた。は以前、泥酔して失敗したことがあるため、ワインは控えめに飲んだ。
 部屋に戻って二人きりになったらいよいよ…と緊張していたのだが、長旅の疲れもあってか、ベッドに入ると知らないうちに眠っていた。も何もして来ず、朝になって拍子抜けしてしまった。
(ま、いっか…昨日は酔っ払って変なことしてないよね…)

 2日目はホテルの部屋を移動した。
 今度はビーチヴィラで、バンガローよりもかなり広くて驚かされた。
 庭にはプライベートプールがあり、ベッドには天蓋がついている。
 どこかの国の王女にでもなった気分だ。
 この日も特に決まった予定はないそうだ。何かオプションツアーに参加したければ、ホテルのスタッフに当日言うとその場で料金を払って行くことが出来るらしい。
はスパにでも行ってきたら?」
「すぱ??」
「おまえスパも知らないのかよ…。エステみたいなもんだよ。マッサージとか肌の手入れをしてもらうんだよ」
「ふーん。あたしは別にいいよ。どうせ高いんじゃないの?」
「暇そうにしてるから、行ってこい」
 いいよと断ったのに、に勝手に申し込まれてはマッサージを受けることになった。
「ヘアケア、ボディケア、フェイスケアのフルコースを頼んであるからな。綺麗になってこいよ」
 は口元をにやにやさせながら、何故か自分が受けるかのように喜んでいる。
(もう……強引なんだから)
 下着を外して、専用の服に着替えてスタッフに渋々ついて行く
 日に焼けた女性は、海の中をどんどん歩いて行った。
「こんな所で…?」
 何と、浅いラグーンの上にベッドが置かれていたのだ。
 がエステを受けるのは初めてだし、しかも海外なので緊張していたが、専用のオイルを塗られてマッサージされていると徐々に気分が安らいできた。バニラが混ぜられているようで、とても香りが良い。
 BGMは、波の音と風で木々が揺れる音だ。
 2時間ほどかけて、全身をピカピカにしてもらった。
「Thank you very much!」
 がお礼を言うと、タヒチアンの女性は、優しくはにかんだ。

 午後はベランダのダイニングスペースで音楽を聴きながら読書をしたり、プールや海で泳いで過ごした。
 普段、勉強や会社の手伝いで忙しいも、表情がいつもより穏やかでも一緒にいて嬉しかった。
「最初は、あんまり観光しないってどうかなって思ってたけど…何か二人でこうやって過ごすのもいいね」
 プールに入ったに言った。
「やっとおまえもリゾートの良さが分かってきたか」
 そう言うと、チェアで寝ているに水をかけた。
「やっ・・・」
「こっち来いよ。一緒に泳ごうぜ」
 の方へゆっくり近づいて行った。
 はプールの際に座ったの腕を引っ張ると、プールの中へ落とした。
「もうっ!鼻に水が入っちゃう…」
 も負けじとに水をかける。
 人目を気にせず、好きな人と過ごせる最高に幸せな時間だった。
 ゆっくりと平泳ぎするが追いかける。
 すぐに捕まえると、自分の胸元に引き寄せた。
「せっかく泳いでたのに…」
 の肩を押さえると、強引に水中に引き込んだ。
「んー!?」
(何するの…)
 水中でと目が合った。次の瞬間、唇が重ねられた。初めての冷たいキス。は苦しさを我慢して、とキスを続けた。
 顔を水上にあげた後、が上半身裸になっているせいか、彼の顔を見るのが余計に気恥ずかしい。
「もう…こんなことして…溺れたらどうするの」
「俺はとキスしながら死ねたら幸せだけどな」
「バカ…」
 は再びの唇を奪った。冷たい唇が触れ合ううちに熱く燃え上がった頃、の中に舌を差し入れた。ビクッと震えるの体をしっかり抱きしめて、は彼女の舌に自分のものを絡ませる。
 プールの中にいるのにの体の芯は熱く火照り、このままの体に蕩けてしまいたい欲望に駆られた。骨ばったの背中を抱きしめながら、感覚をお腹の方に集中させた。弾力のある少し硬いものがのお腹に当たっている…。それが何を意味するかぐらいにだって分かる。初めて感じる彼の男性自身に堪らない気持ちになり、艶っぽい息を吐き出した。
 何だか今日はが一段とエロくなっている気がする。そして、そんなに自分も簡単に流されてしまう。新婚旅行のメッカでずっと二人で過ごすのだ。何が起こってもおかしくない。

 ディナーの後、何もかもが満たされた気分で砂浜を散歩した。
 夜の海岸は、昼間とはまた違った雰囲気になる。しかし、優しい波の音は変わらない。満天の星空が広がっており、いつまで眺めていても飽きない。
 海を越えたはるか遠くの日本では、今も必死に大勢の人が働いているだろう。この楽園にいると、日本の人々がどれだけ忙しいか思い知らされる。
「そろそろ戻るか…」
「うん…」
 ヴィラへの帰り道、無言で手を繋いで帰った。
 南国の夜は人々の心を熱く焦がす。

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