シンデレラになるまで(2)
帰宅してシャワーを浴び終わったは心底後悔していた。
御曹司達と合コンをして浮かれて沢山飲んでしまったこと、酔った勢いとは言え、初めて会った男とキスしてしまったことを。
こんなことになる前は、いけるかもしれないという期待はあった。
何度かデートを重ねて、良い雰囲気になって、もしかしたらと付き合うかもしれないと想像していた。
しかし、だらしない所を見せた今では、恋愛対象として見て貰うのは無理だろうとは落胆していた。
(あー、軽い女だと思われてるんだろうな…本当はあんなキスしたのは初めてだったのに)
やっぱり自分には合コンなんて向いていないんだと投げやりになったその時、の携帯から着信音が鳴り響いた。開いてみると知らない番号が表示されていた。
(勧誘の電話だったらやだな…)
「……はい」
「あーもしもし、だけど…」
「げっ…」
電話の相手が忘れてしまいたい相手だったので、は思わず妙な声を出してしまった。
「げって何だよ。失礼なやつだな」
「ご、ごめんなさい…ちょっと考え事してて」
慌てては謝った。
「ったく何考えてたんだか。まあいいや。、今日暇?」
早くもはのことを呼び捨てにしている。
「暇ですけど…バイトなら他にやってるからいいです」
の昨日の言葉を思い出し、は先手を打っておいた。
「そう言うなって。別に怪しい仕事じゃないし。もしあんたがやるなら、後で玉の輿になる方法を教えてやるよ」
どうもはに仕事を紹介したいらしい。不審に思ったが、は内容だけ聞いてみることにした。
「内容は簡単だ。モデルをやるんだよ」
「は?モデル?」
「そう。うちの会社の新作カタログのモデル。ジュエリーを着けて写真を撮る。簡単だろう?」
どこが簡単なのだろう。素人にいきなりモデルをやれと言われても無理がある。しかも一流のブランドのカタログなんて、相当質に気を使っているのではないだろうか。
「無理です!モデルなんて出来ません」
ははっきりと断った。
(何であたしが…意味分かんない)
しかし、に断られるのは想定内だったとでも言うように、は諦めなかった。
「大丈夫だって。やってみて嫌なら止めればいいだろ?」
「大丈夫じゃないですって。あたしなんかよりも他にいい人がいるじゃないですか…」
「まあそれもそうだな」
自分で言っておいて何だが、はの言葉に少しムッとした。
(さんざん誘っておいて何よ…)
「いや、でも今回はが適役なんだよ。君じゃなきゃ出来ない。じゃあ、今から迎えに行くから近くのコンビニまで出てきてよ」
一方的にそう言うと、電話は切れた。
「はぁぁ?」
(何この人…勝手に決めて、あたしの意見なんか聞いちゃいない…)
はベッドに寝転がり、これからどうしようかと考えた。
このまますっぽかせば、幾らなんでも諦めるだろう。
しかし、あの男のことだ。しつこく家まで押しかけてくるかもしれない。
嫌な予感が頭をよぎり、溜め息をついた。
「モデルかぁ…」
自分には縁のなかった華やかな仕事。中学生の頃からファッション誌をたまに読んでいたは、流行の服を着こなすモデルを見て憧れることもあった。でも所詮ただの憧れであって、本気でモデルを目指そうなんて思ったこともない。
合コンがきっかけで、夢のような出来事が起こるかもしれない。
(今回だけだからね…)
はクローゼットから服を取り出し、着替え始めた。
コンビニの駐車場には、場違いなゴージャスな車が停車していたので、ひと目で分かった。
「やっぱり来たな」
にやりと笑みを浮かべるを無視して、は隣に大人しく座った。車はしばらく走ると、あるビルの地下駐車場に入って行った。
「ここの5階がスタジオだ」
そう言って歩き出したの後にはついて行った。
「こんにちは」
スタジオに着くと、は一人の女性に挨拶をした。
「あら、君、こんにちは。久しぶりね」
「どうも、ご無沙汰してます」
30代後半ぐらいのその女性はと親しげに話をすると、の方を見た。
「こちらがモデルを頼んださん」
がを紹介する。
「です。よろしくお願いします…」
も慌てて挨拶をした。緊張のためか声が上ずっている。
「カメラマンの渡辺です。今日はよろしくね」
女性は明るく挨拶すると、をじっと見つめた。
「へえ、なかなかいいじゃない。でも珍しいわね。こんな純粋そうな子を見つけてくるなんて」
「でしょ。俺は人を見る目はあるんですよ」
は冗談っぽく誇らしげに言う。
は二人をやり取りを聞きながら、スタジオを見渡していた。
初めて見る撮影機材の数々が、ど素人のを圧倒する。
「じゃあ、メイクと着替えしてきて」
渡辺はメイク担当者にを紹介し、はメイクルームへと足を運んだ。
前面が鏡張りになった長い机の前に椅子が並べられている。
そのうちの一つに腰掛けると、髪をささっと束ねられた。
「リラックスしてね」
「は、はい…」
そう言われても、初めてのにとっては緊張してしまう。
机の上には、沢山のファンデーション、アイメーク、マスカラ等が並べられていた。のバイト代では買えない様な高価なブランドのものもあって、憧れの眼差しでそれらを見つめた。
メイクさんは、器用に使い分けながら、手にとっての顔に馴染ませていく。
忽ちの肌は滑々になり、目元はぱっちり大きくなり、唇は艶々に輝いた。魔法にかけられたかのように変身していく様を、は驚きながら眺めている。
(何かいい気分になってきたかも…芸能人がどんどん綺麗になっていくのが分かる気がする)
メイクの仕方によってこんなにも雰囲気が変わってしまうのかと思い知らされた。
「次は衣装に着替えます。最初はこれからね」
スタイリストが選んだ服が3着用意された。1着は黒のパーティドレス、他の2着は普段着で、ガーリッシュなブラウスとスカート、ジーンズとロング丈のセーターという組み合わせだった。
が指示された服に着替えると、いよいよ撮影が始まった。
「可愛いじゃないか」
着替えたを見て、がからかうように笑った。
は恥ずかしくて目を反らしてしまう。
「モデルは初めて?」
「はい」
「そう。ま、何とかなるでしょう」
渡辺のさっきとは違う真剣な表情を見て、何とかしなければ許されないとでも言われたようには感じた。
「まずはカメラに慣れなきゃね」
が素人だということで最初に、カメラの前で笑う練習を始めた。
「もっと笑って」
パチ、パチ…
カメラの音が大きく響く。何もかもが初めてで右も左も分からない。
リラックスしてと言われても、どうしても表情が固くなってしまう。まぶしいライトに照らされ、緊張しながらも必死で笑顔を作った。何故だかにがっかりされたくないと思って、は諦めなかった。
「ちょっとは慣れてきたかしらね」
少々ぎこちないが、何とかカメラの前で微笑むことが出来るようになった。はモデルの難しさを思い知って、不安でいっぱいだった。
(これから本番だなんて、あたしに出来るの??)
「今回のテーマは‘初めてのジュエリー’だから、あんまり気取らなくていいわよ。むしろ初々しい位がいいんじゃないかしら」
は渡辺とから撮影のコンセプトについて説明を受けた。
ただ普通に撮られるだけでも戸惑ってしまうのに、この人達が求めている雰囲気を出すことなんて出来るのだろうか。
(もうーーーー!ド素人にこんなこと頼んじゃって、上手くできなくても責任なんか取れないよ)
お気楽そうに笑っているを見て、は文句を言いたくなった。
撮影用のセットの前に移動して、ついに本番が始まった。
休日に好きなアクセサリーを身につけて、一人でカフェでお茶をしているという設定だそうだ。
フラワーモチーフのキュービックジルコニアがはめ込まれたネックレスが、の胸元に光っている。
はテーブルに置かれたティーカップを持って固まっている。
緊張のあまり表情が引きつっている。
「おい、!」
突然、の声が響き渡った。
(どうしよう、怒られる…)
半泣きになりそうな顔でを見ると、笑顔の彼がいた。
「おまえは気取っても似合わないんだから、自分らしくやればいいんだよ」
ぶっきらぼうなだが、自信のないを励まそうとしている。
その言葉を聞いて、は別の意味で泣きそうになった。
「頑張ったら、バイト代たっぷり出してやるからな」
手でお金のマークを作ると、はにやりと笑った。
(…そうよ、頑張らなくっちゃ。今までのお母さんの苦労に比べたら、これ位の試練なんて屁でもないわ)
は玉の輿に乗りたいという当初の目的を思い出し、気持ちを奮い立たせた。おかげで、極度の緊張はどこかへ吹き飛んだ。
「お、さっきよりも表情が柔らかくなったじゃない」
渡辺もベストショットを撮ろうと真剣に撮り続ける。
(みんな頑張ってるんだよね…)
お金を貯めて買った、自分へのご褒美をやっと身に着けた時の気持ちを思い浮かべて、は静かに微笑んだ。
少し誇らしげに、そして宝物を大事に想うように…。
渡辺の指示通りにポーズを変えて、何カットも撮る。
の肩の力が抜けてきた頃、やっとOKが出た。
「さあ、次の服に着替えて」
休む間もなく衣装替えが行われる。
次の撮影は、ハートモチーフのネックレスを彼とのデートの際に着けて行くという設定だった。
これには、デート経験のあまりないは苦戦したが、架空のデートを思い浮かべて何とかOKを貰うことが出来た。
デートの相手を誰にしようか考えた時に、真っ先にが出てきた時には焦って赤面してしまったかもしれない。
「いいじゃない。擦れてなくて、ホントに初々しいわねぇ」
今までと違ったタイプのモデルの撮影で、渡辺も張り切っていた。
最後の撮影は、パーティに出席するという設定だ。
胸元のゴールドの1粒ダイヤのネックレスが黒のドレスに映える。
普段着慣れないドレスを着て、は落ち着かない様子だ。
シャンパングラスを持って、背伸びして少し大人になった気分。
シャッターを押す音にも大分慣れてきた。
(素敵な服を着て、可愛いジュエリーを着けて…いつか自分もこんな風になれたらいいな…)
就職して働いて、コツコツ貯金して好きなものを買う。
いつしかは、ドレスを着た自分を数年後の自分と重ね合わせていた。
「はいOKよ!お疲れ様!初めてなのによく頑張ったね」
渡辺が拍手してを労ってくれる。
「楽屋に戻って、ちょっと休んだら着替えててね」
「お、お疲れ様でした…」
はペコリとお辞儀をしてフラフラしながら、歩き出した。
(やっと終わった…!楽しかったけど、もうこんなハラハラするのは嫌だわ)
やはり自分には地味に生きるのが似合っていると、は感じたのだった。
が魂が抜けたようにぼーっと椅子に座っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい…?」
「俺。入っていいか?」
の声だ。
は慌ててきちんと座り直した。
が部屋に入ってきて、再び緊張感を漂わせる。
「お疲れ。ほら、茶でも飲め」
「あ、うん。ありがとう」
が温かいお茶が入った紙コップをに渡してくれた。彼なりの気遣いに心が温まる。
(ふーん、強引なヤツだけど意外といい所があるじゃん)
のアドバイスが無ければ、は最後まで続けられなかったかもしれない。ここはお礼を言っておいた方が良さそうだ。
「あ、あの…さっきはありがとうございます」
「何?」
は小首を傾げての方をじっと見た。
「…さんが、自分らしくやれって言ってくれて、ちょっとは楽になったから…」
「そうか」
はの言葉を聞いて、ふっと笑った。自分の選んだモデルの撮影が上手くいったので、内心はほっとしているようだった。
(あー、でも危なかった…。撮影が無駄になって、スタジオ代返せなんて言われたら洒落にならないもんね…)
何かが言いたそうにソワソワしている。
「でもあれだな…。あんたもそれなりの衣装着たら、それなりに見れるようになるじゃん。あくまでも、それなりに、だけどな」
また元のに戻り、をからかった。
「はぁ…?自分から誘っておいて、それはちょっと失礼じゃないですか」
がふくれっ面になると、はくくっと笑った。
「嘘、すげえ可愛いよ。惚れた」
突然、真剣な顔でが見つめるものだから、は困惑してしまった。
「はっ?」
(何言ってんの…?き、気まずい…)
「えーと…そろそろあたし、着替えなきゃ…」
「あ、ああ」
渋々といった感じで、は頷いた。
「バイト代のことだけどよ…決めた!」
「い、幾ら貰えるんですか…?」
撮影の出来が良かったら沢山貰えるのだろうか。
有名なブランド会社の仕事なのだ。学生バイトでは貰えない様な相当な額になるかもしれない。
それとも、の気分次第では報酬は少なくなる…?
は胸を高鳴らせながら、の返事を待つ。
ドアの方に向かっていたはずかずかと歩いてくると、の前に立った。
「立って」
「え…?」
言われた通り、椅子から立ちあがった瞬間、の体は動けなくなった。
にがっちり抱きしめられたのだ。
「な……んで」
きちんと声が出ているかどうか分からない。
どちらの心臓の音かも分からない程密着して、は金縛りにあったかのように身動きできなかった。
「俺と…付き合ってくれ」
自分の耳を疑った。
はの顎を持ち上げると、顔を近づけてきた。
逃げる間もなく、は唇を奪われた。
今度は合コンの夜と違って意識がちゃんとある。
唇がぴったり重なっている。目の前にいる男、に確実にキスされてしまった。
は目を閉じると、の背中にゆっくり自分の手を回した。
「照れてんじゃねーよ」
長いキスが終わって二人が離れた後、も少し照れたように告げる。
「だって…そんな、いきなり…」
こういう時はどんな反応をすれば良いのか分からない。
目のやり場に困って、は俯いた。
「着替え終わった?」
ノックと共に、スタッフから声をかけられて二人は急いで離れた。
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